与太らぼ。
現在、一切の研究は行っておりません。 存在自体が《与太》なのです。
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今・・生きてます('-`)
そんな、心地がした日々でございました。
3/11は丁度休みで、翌日がお店の改装閉店セール最終日。
翌日に備えての休みだったのです。
何かの拍子に12時前に起き、
昼食を取り、いつもどおりにだらっと過ごし、
15時を廻ったところで部屋で何かやろうと戻ったわけです。
時間的に余裕もあったので(若干眠かったけど)
一先ずタルのノルマからクリアしておこうと始めた矢先の事でした・・・。
まずは一揺れ。
揺れは大きく、ディスプレイが倒れるのも困るので
取り合えず押さえようと席を立った瞬間に揺れ方が変動し、より激しさを増した。
おぅおぅ、今日のは揺れるなぁ
程度でしか思いませんでした。
が、長い・・・。
治まる気配がまるでしない。
10秒か、20秒かが延々と続くように感じました。
すると突然、たがが外れたように尋常じゃない揺れにさらに強化・・。
あとはもう、押さえながら周りのものが飛んでくるのを
こちら側に倒れてこないことを祈るばかり。
うずたかく積まれたジャンプが崩壊するのは早かったし、
同様に背の高い本棚の上のものはどごどごと飛び落ちていく。
3つある本棚はほぼ70%が崩落。
また、ゲームやCDなどを収納している棚2つも90%が崩落し、
揺れが収まるまで自室がどうなっているのか、
まったく把握出来ないような状態でもアリ、
治まった途端にまさに足の踏み場も無ければ、
出入り口にまで本が吹っ飛んで塞いでいたので出口を確保するのも
少し難しい状態でした。
何せ、治まったかと思えば5分と経たずに次の余震が続き、
家や近所、または他の部屋の状態を確認するだけでも
30分はゆうにかかったかと思います。
加えて、
最大級の強震が来た瞬間に全電気が落ち、
全てのライフラインが停止。
周辺の情報は携帯から収拾しなければいけないし、
ご近所さんからの話で近場の状態も把握しなければならない。
電話はまず繋がる事もないし、
メールも送っても反応も帰ってこない。
はっ、そうか。
余震にも若干慣れてきたときに電池式のラジオの存在に気付き、
以降の情報収集は比較的ラクになりました。
そんな、心地がした日々でございました。
3/11は丁度休みで、翌日がお店の改装閉店セール最終日。
翌日に備えての休みだったのです。
何かの拍子に12時前に起き、
昼食を取り、いつもどおりにだらっと過ごし、
15時を廻ったところで部屋で何かやろうと戻ったわけです。
時間的に余裕もあったので(若干眠かったけど)
一先ずタルのノルマからクリアしておこうと始めた矢先の事でした・・・。
まずは一揺れ。
揺れは大きく、ディスプレイが倒れるのも困るので
取り合えず押さえようと席を立った瞬間に揺れ方が変動し、より激しさを増した。
おぅおぅ、今日のは揺れるなぁ
程度でしか思いませんでした。
が、長い・・・。
治まる気配がまるでしない。
10秒か、20秒かが延々と続くように感じました。
すると突然、たがが外れたように尋常じゃない揺れにさらに強化・・。
あとはもう、押さえながら周りのものが飛んでくるのを
こちら側に倒れてこないことを祈るばかり。
うずたかく積まれたジャンプが崩壊するのは早かったし、
同様に背の高い本棚の上のものはどごどごと飛び落ちていく。
3つある本棚はほぼ70%が崩落。
また、ゲームやCDなどを収納している棚2つも90%が崩落し、
揺れが収まるまで自室がどうなっているのか、
まったく把握出来ないような状態でもアリ、
治まった途端にまさに足の踏み場も無ければ、
出入り口にまで本が吹っ飛んで塞いでいたので出口を確保するのも
少し難しい状態でした。
何せ、治まったかと思えば5分と経たずに次の余震が続き、
家や近所、または他の部屋の状態を確認するだけでも
30分はゆうにかかったかと思います。
加えて、
最大級の強震が来た瞬間に全電気が落ち、
全てのライフラインが停止。
周辺の情報は携帯から収拾しなければいけないし、
ご近所さんからの話で近場の状態も把握しなければならない。
電話はまず繋がる事もないし、
メールも送っても反応も帰ってこない。
はっ、そうか。
余震にも若干慣れてきたときに電池式のラジオの存在に気付き、
以降の情報収集は比較的ラクになりました。
自宅の方の被害は恐らくかなり軽微な方だと思います。
食器類も他の周辺の人との比べると
割れたのはカップ類が2-3つだけ。
一部の棚が大きく動きはしたけれど、
食器棚がひっくり返るようなことはなかった。
家電類も現在、自室PCが普通に使えるので目立ったモノといえば
素っ飛んで落下してたプリンタくらいだ('-`) 天板固定の部品が一部破損してるけど、一応動く
てか、昨日の夜まできがついてなかったんだけど、
外付けHDDが棚から転げ落ちて、ラックの向こう側にぶら下がっていたんだけど、
奇跡的にとでも言うべきか、ノーダメージでデータにも普通にアクセス可能。
野牛くん、ちょっと見直したよ。
もっとも、一番被害があったのは
物量の多いウチの部屋だけなんすけどね(´・ω・`)
兄貴の部屋も本とか多いんだけど、
棚の向きが良かったのか、ほとんど被害もなく、
いくつかの本が棚から落ちていただけだった・・。
以前、こんな感じの話をネタにした小説を書いたことがあるのですが、
ちっともその辛さだとかが描ききれていないことが分かりました・・。
現代社会で一番無くてはならないのは
やっぱり電気である。
何をするにも電気が必要な社会に構築されてしまっているので
携帯機からネットにアクセスを考えてたけど、
ルータが落ちてるから繋がるわけが無い。
さらに、電話もIP電話になっているため、同様にルータが起動してなければ
受話器なんぞただのオブジェ。
携帯の電池残量も精々無駄に使わなくても2日程度しか持たないので、
情報がいくら入ってこないからとむやみに使うのは得策でもない。
携帯のワンゼグも考えましたが、
元々受信状態が良い方ではなかったし、
受信しやすくするためのワンセグブースタもあるんだけど、
それも電気が来ていなければ意味はございません・・。
部屋の片付けも日地没を迎えるまでしか出来なければ、
日が落ちてしまったらやれることはほとんどなく、
電池は十分あったであろうDSすらも、用意はしたけど触る事もなかったです。
毛布を被り、ラジオに耳を傾け、
余震を見ながら灯りのロウソクに注意をし・・・。
自宅エリアの電源が回復したのが22時過ぎでした。
それまでの日没からの3-4時間は途方もなく長く感じつつ・・
短くも思えました。
そういう風に多少なりを余裕をもてたのはラジオの存在が大きかったかもしれません。
最近はあまりやらなくなっていたような、
簡易放送器具を持って町に繰り出して放送するってタイプの
懐かしい感じの放送が都心の状態を知らしてくれ、
またそんな中だからこその光景が広がってました。
実際に歩いて新宿駅に向かうレポータもいたし、
別の駅に向かったレポータ、または
出先から歩いて戻ってきたばかりの社員に
どのような現場になっていたのかをレポートさせていた。
ラジオはやっぱりいいな・・・
そう思っていた。
電気が復帰した途端、
すっかりTV子っ/(^o^)\
やっぱり、映像で見ないと、どこでどうなっていたのか
さっぱり分からなかったですよ・・・。
でも、TVとラジオで大きく異なった点は
TVは津波やら地震が発生した当時の映像を流してばかりだったけど、
ラジオはその時々の余震情報や原発の問題発生についての
追加情報が逐一上がっていたことだろう。
当時はほとんど原発の情報は流れていなかった。
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